警察小説の難しさ

―ご自身の執筆された警察小説の読みどころや、なぜそれを執筆しようと思われたのか、その狙いについて教えてください。

今の警察小説というものは、組織小説であることが多いんですね。例えば、今野さん(大沢注:今野敏さん昨日も一緒に飲んでいました)の小説で言うと、犯罪捜査小説であると同時に、ある種のサラリーマン小説であると思います。組織の中での個人の生き方などがテーマになっているからです。

僕の小説は、ちょっとそことは離れていて、ヒーロー小説の要素が強い。『新宿鮫』を出した頃は、警察小説といえば高村薫さんの『マークスの山』が有名でしたが、今ほど警察小説なるものがたくさんあった時代ではなく、そういう警察組織の情報は、みんな存在を知っている組織であるけれども、実は詳しくは知らないという状態だったのです。

僕自身、『新宿鮫』を書くまで現役の警察官を主人公に小説を書いたことがなかったので、少し調べてみました。

その時に分かったことが、警視庁の警察官は、神奈川県に行ったら捜査権も逮捕権も持っていないとか、そういう今では当たり前になっている公務員としての権利の制限などでした。

それまでは、警視庁の捜査位1課の刑事が日本中どこへ行っても犯罪を解決しちゃうパターンの話が多くて、それは警察小説と呼ばれてはいませんでしたが、みんなが警視庁捜査1課は日本中どこへ行っても捜査1課なんだと思っていました。それが調べてみると、ちょっと違うぞとなってきた。

警察という組織はがんじがらめなところがあって、それは、一つには警察官の権利の濫用を防ぐ目的があるからだと思うんですね。本当に警察官って、何をするにも面倒くさいし、縛られている仕事だなと思います。それで、厳しい言い方をしてしまうと、あまり想像力を働かせることも許されない、むしろ上の人の判断裁量を仰いだ上で行動を決めなくてはならないという、上下の関係が堅い組織だと思います。

ドロップアウトした主人公

そういう状態の人間を主人公にして小説を書くことは、僕自身は難しいと思いました。そこで、組織の中にいるけれども、組織からはみ出ている人間を主人公にしたわけです。それが『新宿鮫』なのですが、署内で孤立している刑事、それも警視庁に勤務しているのでは面白味がないので、所轄署の刑事にしました。

それで、所轄署の刑事であるにもかかわらず、ペアを組んでくれる仲間もいない、どちらかと言えば嫌われているような存在をどうすればいいか、主人公本人としては魅力的なのに、警察組織の中では孤立している存在を、どうすれば小説の中で成立させられるのかと考えて、改めて警察という組織を勉強しました。そこで「キャリア警察官のドロップアウト」という設定が見つかったんです。

もちろん、その設定がリアリティに欠けることは承知しています。こういう言い方をして、自分でもよく怒られないなと思うんですが、「警察と暴力団は実例を出さない限り、どんな嘘を書いても怒られない」のです。

例えば、実存する暴力団の組の名前だとか犯罪を書いたら、何かしらまずいことが起きるでしょうが、警察に関しては、外に出てない部分を想像で埋めたとしても、「それは違うよ」と言われることはない。少なくとも『新宿鮫』の発表の頃はそうでした。今は警察オタクというか、警察についてやたら詳しい人が増えました。そういう人が投稿しているインターネットのサイトを見ると「なんだ、そうだったのか」と驚くことも多くなっています。書店でも警察に関する本が出ていますから、僕が少し嘘を書いても大目に見てくれているのだろうなと思っています。

新宿鮫

意外なファン層

僕自身は警察官に直接取材をしたことはほとんどありません。特に『新宿鮫』の1巻から5、6巻までを書いている時は、一度も警察官にお会いしたことないんです。本を書くに当たっては、元警察官の方が出された本を何冊も読んで、その上で符丁も含めて、自分であれこれ記入するノートを作って、欠けている部分に関しては想像で埋めていきました。

後で実際に警察官にお会いする機会が増えましたが、お話しさせていただくと、僕の想像もあながち間違ってはいなかったと分かりました。  現役の警察官の方からファンレターをいただくことはないのですが、警部の研修会議などの打ち上げに呼ばれたりして行ってみると、かなりの方が『新宿鮫』を読んでくださっていました。

『新宿鮫』の鮫島警部はキャリアであり、あんな警察官はいないと分かっていても、皆さんの警察官魂を刺激してくるヒーローだと感じ取っているようです。「鮫」に対して親近感や憧れみたいなものを抱いてくださっている。自分が書く警察官像はスーパーヒーローではないけれども、国民の安全を守るために身体を張っていることに共感していただいていることは、ありがたいと思います。

それと意外なことですが、僕の小説は刑務所の図書館で人気があるそうです。だからかもしれませんが、ファンレターを刑務所からもらったりするんです(笑)。現役の暴力団の組員なんかが「鮫島が好きだ」なんて書いてこられると驚いちゃうんですけども。(再び笑)

よく僕は、冗談で小説家仲間に、「俺は最もプロから支持されている小説家だ」って言うんですよ。「法を挟んでこっち側とあっち側の両方のプロの読者が一番多いよ」って。

彼らが僕の作品を支持してくれる理由は何だろうって考えると、決して細かな取材とか、リアリティが好まれているわけではありませんね。例えば横山秀夫さんは、実際に新聞社に在籍されていたわけで、県警察の細かな捜査活動であるとか、組織の構造をよくご存じですし、今野敏さんも詳しい。そういう細かい部分は、僕はあえて書かなくなりました。そうすると僕の小説は、警察官であれ、暴力団であれ、人間として書いている部分が好まれるのだろうと思います。

つまり、警察官だって24時間365日「正義の味方」じゃいられない。疲れたり、眠かったり、「帰りてぇよ」と思い時だってあると思います。そりゃ、映画のヒーローは24時間ピストルを持って悪人を追いかけても平気でしょうが、生身の警察官にはオンの時とオフの時があるわけです。暴力団だっていつも悪いことばっかりしているわけではない。家族もいれば恋人だっているわけで、その中で生活費を稼ぐ手段が悪事になっているわけです。

警察官も暴力団も、全くの白と黒ではない、グレーな部分があると思います。そこにリアリティを与えることによって、小説の中ので生身の人間を表現することができているわけです。もしかしたらそこが好まれているのかな、つまり嘘っぽくないところを評価していただいているのかなと思います。

新宿鮫

ヒーローではない主人公

―『新宿鮫』の主人公である鮫島警部は、スーパーヒーローとして登場するのかと思って読み進めていると、ちゃんと怖がるところがあって人間味がありますね。

はい。怖がるし、泣くし、傷つくし.……。それがないと人間として嘘になりますから(大沢注:小説の設定自体、嘘ですけど)、話に出てくる登場人物の感情とか行動まで嘘になったら、読者の支持は得られないと思います。

スーパーヒーローではない鮫島が、ほかの人より勝っているところは何かと言うと、目的遂行に対する意思の強さ。これだけだと思います。決して肉体が強いわけではない。だけど諦めない、そこが魅力なんだと思います。

例えば、喧嘩が強いとすると、上には上がいるわけで、どれだけ肉体能力が優れていても、敵が武器を持ち出したら勝てないわけです。そう考えた時に、最後に勝ち負けの分岐点になるのは「心の強さ」です。

やられても、やられても、怖くて泣くけれども、でも負けないんだと歯を食いしばるという、その姿ですね。そのせいか、鮫島に励まされると言ってくださる読者の方は多いですね。

全部お勧めしたい

―ご著書の中で、警察官に読んでもらいたいもの、お勧めの作品は何ですか。

これは難しいな(大沢注:本当に考えています)。警察官の方って、自分の仕事が意義のあるものと思って警察小説を読まれる方と、もしくは現実の仕事で十分だから小説まで警察のことを読みたくないという方と、両方いらっしゃるんじゃないかと思います。

それじゃ一般の読者は何を思って読んでいるかというと、「スカッとしたい」。

つらい日常の中で、2時間でも3時間でも本を読んでいる間は、別世界に入り込んで現実から解き放たれる感覚を持ちたい。ハラハラドキドキして最後はホッとする。映画を観るように感動したいと思っている方に読まれていると思っているので、僕の小説を読んだことがない警察官の方でも、ご自身の仕事に誇りを持っていただける小説だと思っています。

『新宿鮫』1巻が出て今年で24年になりますが、この本を読んで警察官になったという話を随分聞きました。そんな方たちが心が折れるようなことがあって、この先、定年まで無事に過ごせればいいやと思って、ただ淡々と仕事をするのではなくて、僕の本を読んで、警察官を拝命した時の初々しい気持ちに戻って、スカッとして、再び職務に従事していただければ嬉しいですね。

そういう意味で、これだけは読んでいただきたい本というのはないです。鮫島の心の中にある「仕事への誇り」というものは、どの本でも同じ気持ちで書いてますから。

もしこれから『新宿鮫』や、ほかの作品をお読みいただけるのであれば、ご自身の仕事というものが、社会に絶対必要な職業であり、「なぜ自分はこの仕事に就いたんだろう」という気持ちを思い出していただける小説でありたいと思います。

ただ警察組織の中にいると、想像力がだんだんと奪われていくと思います。「頭だけで捜査をするな」とか、「頭でっかちの捜査はダメだ」とか言われるし、一方で、犯罪自体はどんどん技術が進化していく。それこそ最近のサイバー犯罪なんかも含めて、捜査の上手を行く犯罪者はたくさん出てきています。もちろん、どんな犯罪だって、最後は組織的な捜査の網にはかかってしまいますが、その想像力を放棄して、自らを単なるコマとして捜査を続けていくことは危険だと思います。

これから犯罪は、ますます広域化・ハイテク化していきますから、そのような状況で犯罪者が何を考え、何を目的としてどう動くかという、犯罪者の意図に想像を巡らす力は失わないでいただきます。

新宿鮫

警察の権力は強大

―警察組織や警察官について、小説の題材として魅力に思う部分は、どのようなことですか。

警察という組織の持つ権力ですね。これは、自衛隊が出動する事態にならない限り、日本が抱えている最も巨大な権力組織であり、優秀な職員だと思います。兵士と言ったら怒られちゃうかもしれませんが、実行能力があり、情報収集能力がある。それだけの力を集約できている組織は警察以外にありません。

ただ、これだけの力を持ってるのに、その組織の運用が実に魅力がない(笑)。これほどお役所的な組織はないです。確かに、警察組織がハリウッド映画みたいにバンバン爆走したら大変なことになってしまうし、法律違反をしまくっている警察官だらけになるわけですから、そこに枷を掛けることは必然だと思います。

例えば、鮫島がスーパーヒーローになって、常に最新兵器を持って、軍隊だろうが何だろうが、一人でやっつけちゃったら、あまり面白くないと思うんですね。鮫島はキャリアでありながら、新宿署に飛ばされた窓際族の刑事で、しかし優秀で諦めない、そして限られた情報と武器、つまり頭脳と肉体だけを使って、大きな敵をあぶりだしていく。そういうところに読者はカタルシス(高揚感)を感じるのだと思います。

枷が多ければ多いほど、物語としては面白くなる要素を秘めています。『007』のように、「殺人許可証」なんか持ったりして、最終兵器でバンバンなんて内容では、人間ドラマとして面白い話にならないわけです。

警察という組織は、ものすごく大きな力を持っているにもかかわらず、何重にも安全弁を付けられていて、その中に、ドロップアウトしたエリートという、2重の枷を背負った人間が主人公になる。そういう舞台が魅力なのではないでしょうか。

例えば、捜査1課の班長を主人公にしたら、そういう殺人事件の捜査小説は、僕が想像するに、あまり面白いものにはならないんじゃないかと思うんです。そこにドラマはないからです。

事件が起きました、担当官がいて、管理官がいて、帳場が立って、会議があって、それじゃ君たちは「地どり」だ、君たちは「監どり」だ。それで情報集約して犯人が割れました。「さぁ行くぞ」という内容になるでしょう。ノンフィクションとしては面白いかもしれませんが、小説としたら、起承転結がもう見えているわけです。そういう話は面白くない。

自分が読むのだったら、「片手縛られ」「片足縛られ」という状況の中で、主人公はどう脱出して、最後はスカッとさせてもらえるのか。そこまで求めているのだと思います。書く方は大変ですけどね(笑)。

特に鮫島の場合、所轄の生活安全課という、どちらかといえば地味な部署で、刑事課でも、組織犯罪対策課でもないわけです。その立場である鮫島を大きな犯罪にどのように絡ませていくか、きっかけは売春であったり、贓品(ぞうひん)売買であったり、そこからどのように大きな犯罪に関係させるか、ということも大事な材料ではありますね。

取材の目は次回作へ

―小説を書くに当たって、どのような取材をされていますか。

犯罪を調べる取材が多いですね。例えば、次の『新宿鮫11』のために、今は、東欧の人身売買の話を調べています。コソボ紛争の後、旧ソヴィエト連邦圏の小さな国の女性が人身売買の犠牲になって、世界中に売春婦として送り出されている。その話を次回の新宿鮫の発端のストーリーとして使えないかなと考えています(大沢注:期待してください!)。

最近は、国内のことではすまない事件が多いと思います。「犯罪のグローバル化」ですね。「マネーロンダリング」という海外に繋がる金銭問題もありますし、人間の行き来の問題も多い。人間が動けば、それに伴って物も動くわけですから、そういう問題は無視できないと思います。

だから例えば、暴力団がそういう行き来を考えず、50年前から変わらない自分の縄張りでシノギを続けているなんていう小説は、僕はも読みたくない。50年前から変わらないシノギもあるけど、ここ最近の流行りのシノギもあるぜ、遠い国の人間だぜ、というような話もあっても良いだろうと思うのです。それはもちろん現実に起き得ることだし、起きたこともあるわけです。その「起きた」ことよりも「起き得る」ことに重点をおいて調べていきますね。

実際に暴力団に会って取材したことはないですよ。聞いても教えてはくれないだろうし、「あなたは人を殺したことがありますか?」なんて面と向かって聞いても教えてくれるわけもない(笑)。

新宿鮫

警察官は想像力を

―警察について、また、警察官について思うことは、どのようなことですか。

一時期、警察官は拳銃を撃ってはいけない、撃ったら出世がなくなるなんて言われた時代もありましたが、これから外国人犯罪者が急増した時に、「日本の警察官は銃を撃たない」と思われてしまうと、逆になめられてしまう。むしろ携帯して必要な時は発砲してかまわないとなった時もありますよね。

それはそれで小説の題材には使えるのでしょうけど、もろ手を挙げて「警察が強くなったぞ、万歳」ということにはならないでしょうね。つまり警察が強くならざるを得ない状況が生まれているということだからです。それが犯罪のグローバル化であったり、非常に頭の良い犯罪者集団が現われているわけです。

例えば、最近の振り込め詐欺や、薬物犯罪も、最初にその犯罪に手を染めた奴はギリギリのところで、もう手を引いちゃっているんです。危険ドラッグやМDМAだって、最初に売られた頃は法律の規制外だったわけです。その時にバーっと売って、荒稼ぎしてパッと手を引く。最初に手を着けた頭の良い奴がいるわけです。そいつが手をひいたところで、そのノウハウとかスキルとか、マニュアルを次のやつに売り渡す。そうして次、次、と伝播していく。それで捕まる奴が出てくるんですけど、最初に稼ぐだけ稼いだ奴は、同じシノギには執着しない、そういう奴が増えていると思います。

その最初のグループをまず潰さないと、犯罪の手法は定着してしまいますから、いつまで経っても同じ手口の犯罪はなくならない。その最初を潰すために、警察は想像力と機動力と、そして権力が必要なのだと思います。

結果論として、犯罪というものは「病気」で、捜査は「治療」です。しかし原因の分からない病気に対しては、対症療法をするしか方法がない。でも、心臓が悪いのか、肝臓が悪いのか、腎臓が悪いのか、それが分かったら根本的にその悪い部分を治療することができるわけです。その根本のところが原因不明になっていると、対症療法として、痛み止めを渡すことくらいしかできない。そんな捜査が延々と続くと、警察官にとっても空しいですし、時間と費用が膨大になる。その病気の原因となっている事象を警察官はどう突き止めるか、どう根本的な治療をするか、そういう発想をこれからの警察官は持つ必要が出てくると思いますね。

これから新しい捜査手段、捜査方法がどんどん増えていくんじゃないでしょうか。一方では捜査の可視化、取調べの可視化という問題も生まれて来ています。

これからの警察にとっては、厳しい言い方かもしれませんが、犯罪が出て来る前に予測する、こういうかたちの犯罪が出てくると思ったらやっぱり出て来た、そうなると犯人は、こういう種類の人間だ、と考えてすぐに抑えにかかる。要するに第1波で潰すことが重要だと思います。

第1波で潰し損なうと、次世代、次々世代と範囲が広がっていきます。まさに今、振り込め詐欺が広がってどうにもならなくなっているような状況になってしまうと思います。

守るということ

―警察官の読者へのメッセージをお願いいたします。

先ほども申しましたが、警察官の職の本分は「罰する」ことではなく「守る」ということだと思います。現実に進行している犯罪から国民を守ることもそうですが、これから起こるかもしれない犯罪からも国民を守ることです。

そこにはやはり想像力が必要だと思うので、日々の厳しい職務の中で、できるだけその気持ちを失わないでいただきたい。僕の本を読んでくださった方は、鮫島のような刑事になりたいと思った頃の気持ちを心のどこかでずっと持ち続けていただきたいですね。

僕は警察という組織はすべて肯定することはできませんが、警察官という職業、存在は100パーセント肯定します。常に応援したいと思います。

初出「BAN」平成26年9月号 (発行:教育システム) 「BAN」平成26年9月号 「BAN」は警察職員のための「総合教養情報誌」です
新宿鮫XI『暗躍領域』は「小説宝石」にて連載中