大沢在昌『陽のあたるオヤジ 鮫のひとり言』

久々の帰郷。変わりゆく風景。変わりゆく私の嗜好。
(連載時 第97回)

約二年ぶりに名古屋へ帰った。同業の井沢元彦氏がカルチャースクールでやっているトークショーの相方をつとめるだめだ。

実家に泊まり、それにあわせて父親の十七回忌の法要もおこなった。

誰しも故郷に対しては同じような感情を抱いているかもしれないが、〝田舎〟というのは、何年たっても変わらないような気がするものだ。

私の実家があるのは、名古屋市東部の住宅地で、小、中、高といた学校の他には、県営や市営の住宅、一戸建ての家ばかりで、あとはショッピングセンターや小さな商店街くらいのものだ。スナックや喫茶店もなく、コンビニエンスストアすら、ようやくこの二、三年のあいだにちらほら目につくようになったに過ぎない。

私はその町で、小学校の後半と中、高の、あわせて十年間を過ごした。平和といえば実に平和な町だった。

しかし今回帰って、大きな変化にきづかされた。町の大半を占めていた市営住宅がなくなっているのだ。訊くと、とり壊されて、県営の高層住宅に建てかえられるのだという。住んでいた人たちは皆、引っ越していき、新たな住宅にも戻ってはこないらしい。

それらの市営住宅には皆、ブロックごとに名前がついていた。「はざま荘」「徳川山荘」などという名だった。小学校のクラスメイトの大半は市営住宅の住人で、私が通った珠算塾もまた市営住宅の二階だった。

考えてみると私の育った町は、市営住宅の建設にあわせて、バス路線がしかれ、マーケットが建ち、人の住む町がつくられたのだった。今でこそ、名古屋市の東部内側よりだが、三十年前は、東の外れで、造成中の宅地や手つかずの沼や雑木林がたくさんあった。そこでザリガニや蛙をつかまえたり、蛇にでくわしたりしたものだ。引っ越してきた当初は、家の庭に大きな青大将が巣食い、トカゲや蛙もたくさんいた。

今、町はそういう意味ではひとつの役目を終えた、ともいえる。

建物は古くなり、小学生の私が毎日のように遊びにいったクラスメイトの家も無人で、とり壊しを待つばかりになっている。私はその家々をブロックごとにへだてる道を自転車で走り回り、近くの公園で毎日のように野球をした。

公園はブランコが錆びつき、乗る人もいない。線を引いてベースをおいた石ころだらけの地面は、雑草がぼうぼうに生え盛り、そこで遊ぶ子供がいないことをあらわしている。「――ちゃんちのおじさん、おばさん」と呼んだ友達の両親も、もう七十近い老人になり、当の友達はとうに家をでて結婚し、独立している。町から子供たちが消え、かわりに目につくのはお年寄りばかりなのだ。

七十になる私の母もそうした年寄りのひとりだ。

滅びゆく町を再活性化させるためには、古い家をとり壊し、新しい家を建て、そこへ若い住民を呼びよせる他はないのだろう。私にとってそれは、地方の辺地が過疎化するのとはちがう形であるが、故郷が消えている結果を招く。

町は生きものなのだとしみじみ感じた。

ところで、名古屋に住んでいた頃は特に珍しくもなく、それがゆえにめったに食べなかったのだが、東京で暮らすようになって好きになった食べ物がある。

味噌煮込うどんと味噌カツである。味噌煮込うどんの方は、比較的有名な食べ物だが、味噌カツはそれほど知られていない。どちらも愛知県特産の八丁味噌を使用する。味噌煮込は、文字通り、八丁味噌のスープでうどんを煮込んだものだが、味噌汁のような薄さではなく、だしも濃厚でこってりしている。

味噌カツは、トンカツに味噌だれをかけて食べるものだ。高校の頃は、近所に「串カツ」と看板を掲げた大衆食堂があって、学校帰りに丼飯と味噌だれのかかった串カツを食べていたものだ。今は、串カツそのものをやっている店が少なくなった。

とはいえ、当時の私たちには、串カツよりも、喫茶店の「ナポリタン」や「ピザトースト」のほうがご馳走だった。だから、串カツ屋にいくより喫茶店にいくことの方がはるかに多かった。

自分の中における食物の地位(?)が大きく変化したことをつくづく感じる。

今回の名古屋では、カメラマンの塔下氏と新担当のK山とともに、味噌カツを食べにいった。塔下氏は以前、勝浦で私の作った味噌煮込を食べ、以来の八丁味噌ファンである。

二年ぶりの名古屋の冬はひどく寒かった。

名古屋が、「冬寒く」「夏暑い」街であったことを忘れていた。

街並みは少しずつ変化しているが、気候だけは昔と変わらずに、厳しい土地だった。

陽のあたるオヤジについて。
1993年1月から1994年7月まで「週刊プレイボーイ」にて、大沢のエッセイ「陽のあたるオヤジ」が連載されておりました。
第1回から第71回までは集英社さんからエッセイ集として刊行されております。その後も半年ほど連載は続いておりました。
その半年間の未収録分を特別企画にて連載いたします。
20年の時を経て「陽のあたるオヤジ」に陽の目をあててみたいと思います。
陽のあたるオヤジ

集英社文庫
9784087486711
495円(税別)