大沢 |
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今野敏にしても大沢在昌にしても、作家の中では、今の日本の出版界では、かなり恵まれたポジションにあるとは思うけど。だけど5年後、10年後なんてまったく何の保証もないからね。一生安泰だなんて一度も思ったことないし。 |
今野 |
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ないね。 |
大沢 |
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いわゆる文壇的なヒエラルキーの最高点にいたって、じゃあ北方さんにしても、宮部さんにしても、10年、20年後、現役の作家として認知されているか、本が本屋で売られているかわからない。書き続けることでしかその保証は得られないし、カスみたいなものを書いてたら、どんどん追いやられていくだろうしね。因果な商売だよね。もっと楽にいけると思ってたよ、俺は。たぶん今野さんも、ここ数年の間に立て続けに文学賞とかをとって、かなり変わったんじゃないかな。とる前に思ってたほど楽じゃないって実感していると思うな。 |
今野 |
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そう。仕事量、増えたんだもん。 |
大沢 |
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増えるのはうれしい反面、ぜんぜん楽になってないよね。収入はもちろん増えているだろうけど。これがあと30年続くなんていう保証はどこにもないもんな。 |
今野 |
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ないない。 |
大沢 |
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むしろこれでまた落っこったりして、不安になることだって考えられるわけだよ。 |
今野 |
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あり得るよね。だって、年取っていくと、どうしたって執筆量、減るわけじゃない。不安なはずなんだけど。不思議なもんで、俺、東芝EMIに入って辞めるときから、去年、文学賞をとるときまで、不安になったことってないんだね。まあいつかは売れるだろう(笑)みたいな。 |
大沢 |
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でもそういうもんだよ。上ってるっていう意識を持っているときは不安がないんだよ。 |
編集部 |
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売れてなくても? |
大沢 |
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うん。売れてないからこそ上れると思っているわけ。もちろん消えてしまうかもしれないっていう不安を感じることはあるけど、落ちることはないんだよ。だって自分の今いる場所は最低なんだから。ところが上り始めると落ちる不安が生まれるんだよ。だから今野さんは落ちる不安をこれから感じると思うんだ。 |
編集部 |
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30年間の中で不安になったことはありましたか。 |
大沢 |
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あったよ、もちろん。いちばん思ったのは、1989年に28冊目の作品になる『氷の森』をハードカバーで世に問うたとき。自分に書けるそのとき最良のものだという思いがあった。そのときの願いは、もらえなくていいから何かの文学賞の候補にならないかとか、あるいはアンケートなりコンテストで上位に入ることであったりとか、本が売れて重版することであったりとかあったんだけど。ことごとくその願いが外れたときに、俺が目指した最良のものというのは、この世の中には何の意味もないことなのかと。俺はそのとき33歳だったけど、残りの人生、まだそうとう長いわけだよね。50年近くあるとして、残り全部ずっと作家ではやっていけないかもしれないと思った。いちばん怖いのはそこだよね。
売れてても売れてなくてもそれなりに注文があって、生涯作家としてやっていけるなら、まだそれは幸せだよ。だけど、注文がなくなった時点で自分がいくら作家でございと言ったところで、世の中から、おまえはもう引退したも同然だと言われたら、それはそれでおしまいになっちゃうわけだから。存在を無視されてしまうわけだから。そうなるんじゃないかという気持ちは持ったよな。 |
今野 |
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俺は『蓬莱』よりも『ビート』だったんだよね。『ビート』はものすごい手応えがあったし、これ以上のものは書けないと思った。そうしたら、大沢さんが言ったみたいに、評価もあまりされなかったし、あまり売れもしなかった。
でも大沢さんも『氷の森』を書いたから『新宿鮫』が書けたんだと思うんだよ。俺も『ビート』を書いたことによって、『隠蔽捜査』も書けた。ものすごく肩の力が抜けたんだよ。正直『隠蔽捜査』書いたときは、悪い言葉で言うと、やっつけ仕事だった、ほとんど。でもその前に『ビート』を書いてるから、やっつけ仕事でもクオリティが保証できたんだよね。 |
大沢 |
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いい感じで力が抜けるっていうのかな。たとえば、今野さんはゴルフやらないけど、飛ばそうと思って力んでひっぱたいたからってボールが飛ぶわけじゃないと。なにげなく抜いたスイングでバーンと打ったらそれがすごく飛ぶっていうケースがあって、そういうことなんじゃないのかな。空手なんかでもあると思うんだよね。勝負したものがうまくいかなくて、ある意味すねて、腐って、でも食っていかなければいけないから次もしようがねぇ、やってやるかと思ってやったときに、いい感じで力が抜けた。 |
今野 |
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そういうのあるかもしれない。 |
大沢 |
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ただこれは自分で狙ってできることじゃないわけさ。 |
今野 |
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ほんとにそうなのね。 |
大沢 |
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演出なんかできないしな。 |
今野 |
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これは怖いね。怖いというか困ったもんでさ。 |
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大沢 |
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今野さんにしてもポッと出て売れたわけじゃないから。その間の長い積み重ねがある。俺は下積みが尊いと言いたいわけではないの。下積みなんてしないで済むならだれもすることはないよ。ただ、長い間そういう経験を積んだ人ってやっぱり強いよ。だから、ちょっとやそっとの波でも流されないし、ちょっとよくなってすぐ消えてしまうということもないし。腰が据わってるっていうのかな。長年売れないできたんだから、また一瞬、波がひいたからって、もうダメだ終わったということもあり得ない。俺もよく思うよ、売れなくなったって昔の売れなかったことに比べれば、ぜんぜん売れてんじゃねぇかよと。昔のことを考えれば怖かねぇやと思うことがあってね。 |
今野 |
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やっぱり長年やってきたトレーニングなんだよ。最低限、アベレージの仕事はできるという自信があるんで、じゃそれよりもちょっと足してみようじゃないかとか、そういう工夫ができて……。俺たちって職人だからさ、ある意味で。そういう技術がなきゃダメなんだよね。それは、長年やってきたからその技術が培われてきてる。 |
大沢 |
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技術は長年やることでしか身につかない。 |
今野 |
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一生懸命書くこと。書き続けなければダメで、量はやっぱり質に転化するよ、絶対。 |
大沢 |
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ある量は書かないと絶対ダメだろうな。だから量を書かないでうまくなろうとか、技術を身につけようというのは難しいと思う。 |
今野 |
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ないと思う。あり得ない。 |
大沢 |
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早い話が、締め切り来ちゃった、書くことは何にもない。でも何か書かないとまずいぜっていうときに、机の前でウンウン唸って、10時間たったらできてましたよ、っていうことっていくらでもあるんだ、プロの作家ってさ。この間もできたから今度もできるだろうっていうこともあるし(笑)。それの繰り返しだったりするんだよ。そうするとそれが自信になるわけさ、何とかなるぜと。若いうちは、どうしようどうしようということばっかり考えて、パニックっちゃうから書けなくもなるし、逆に言うと、このアイディアは今書いちゃダメだろうとか、もったいぶるというか温存したがる。そんなものどんどん使っちまえと。空っぽだ、スカだと思っても必ず探しゃあるからよっていうね。 |
今野 |
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思いついたアイディアはどんどん使ったほうが、次も出てくるよね。 |
大沢 |
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絶対使ったほうがいい。 |
今野 |
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温存しているとそこで止まっちゃうんだよね。 |
大沢 |
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これは勝負作のためにとっておこうなんて、そんなチャンスは二度とこないよと(笑)。つねに勝負作だと思うしかないのね。でもこれ書いちゃったら次が……って、そんなもの出てこなきゃ終わりだよって。出てくるんだよ。出てこなかったらどうするんですかって、それは消えるしかないだろう。だって今書かなくたってどのみちそれしかなかったら、消えるんだからっていう話だからさ。消えていく人間がこんなに多い世界ないんだから。だれも消えたいと思ってないよ。出てきたときはみんな意気揚々として、俺はもう世の中を引っ張っていくんだぐらいのつもりでいるわけじゃない。小説家の、そういうところがいちばん面白いかもね。だから毎日なんてのはすごくつまんない。机に向かってごそごそやっているだけの日常なんだけど、5年間とか10年間とか20年間、ましてやわれわれみたいに30年というスパンで見たときに、やってることは変わらないんだけど、気がつくと、登ったり下りたり、転げたりというのがその30年の中にあって、全部それが今の自分をつくっていることにつながっているっていうのはあるよね。 |
今野 |
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噺家さんの話なんだけど、「あの噺家は変わらないね」「あの人の芸は変わらないね」って言われる人は伸びてる人なんだって。「あれはダメになったねっ」ていう人は、それは停滞している人なんだって。だから伸びてないと、俺たちは下手になったと言われるんだよ。 |
大沢 |
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攻撃は最大の防御みたいなことだな。 |
今野 |
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でも、毎日書いてれば絶対うまくなると思う。そういう蓄積がないと、結局、消えていくんだよ。 |
大沢 |
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あの人は今、みたいになっちゃうからな。何十年かして、評論家がこの対談を見て、今野敏というのはあの今野敏だけど、対談相手の偉そうなことを言っている大沢在昌って、当時は売れたらしいけど、今は何も残ってないな、なんていう可能性だってあるんだからな(笑)。 |
今野 |
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俺、昔よく抱いていたイメージがあって。焼鳥屋の隅っこで「俺昔さ、売れててさ」「いいから帰ってよ、おっさん」みたいなことを言われて、地面に倒れるんですよ。雨が降ってるの。そこをカッカッカッと歩いてくる奴がいて、ふっと見ると大沢なんだよ、それが(笑)。 |