歴史≠描く、時代≠描く 前編
 
北方謙三×宮部みゆき 対談 歴史≠描く、時代≠描く 新刊ニュース(トーハン) 2005年9月号
 
■「書く」という仕事
 
宮部 実は対談させていただくのは初めてですよね。
北方 え、うそ!
宮部 他の方との対談に私が乱入したことはありますけど(笑)。
北方 二人で対談したことはなかったっけ。
宮部 ええ。何人かで座談会ということはあっても、北方さんと二人でというのは初めてです。
北方 しょっちゅう話してるから、初めて対談するという感じはしないよね。
宮部 ここのところお目にかかっていなかったので、今日は楽しみにしていたんです。
北方 本当、嬉しいな。
宮部 今回の対談は歴史・時代小説ということで…
北方 そうそう、『孤宿の人』精読させていただきました。面白かったなぁ。よくできてました。
宮部 わぁ、ありがとうございます!
北方 みゆきちゃんはいつごろから時代小説を書き始めたの。
宮部 習作のころから両方とも書いていました。現代ものも、時代ものも並行していました。
北方 随分長いこと書いているんだね。
宮部 はい。ただ、例えば町娘が探偵役になるとか、その女の子がちょっと不思議なものが見えるとか、あとは岡っ引きが出てきて「親分、てぇへんだ」みたいな作品がほとんどです。
北方 『孤宿の人』もその片鱗はあるよね。岡っ引きのかわりに引手(ひきて)というのが出てくるしさ。
宮部 引手という名称は自分で考えたんですよ。結構気に入ってるんです。
北方 え、そうなの。引手って言葉があるわけじゃないの?
宮部 ないです(笑)。ちなみに、藩医を指す匙(さじ)という名称も私がつくりました。
北方 創作された丸海藩を舞台に物語を展開しているわけだから引手・匙でいいんだ。
宮部 そうなんです。
北方 物語の舞台を実在した丸亀藩に何故しなかったの。
宮部 とてもとても、歯が立ちませんでした。私には歴史小説は書けないんだということがよくわかりました。何にでもチャレンジするのは良いことだけれど、どれほど前向きでも、届かないことにはやっぱり届かないです。北方さんは完全に歴史小説家としての顔をお持ちですよね。
北方 僕が最初に書いた歴史小説は『武王の門』という作品なんだけど、その時はものすごく勉強しましたよ。こう見えても結構まじめなんです。
宮部 よく存じ上げています(笑)。
北方 一生懸命勉強したんだけど、舞台が南北朝だったからなかなかわからなくて、綱野善彦先生にいろいろ教えていただいたんです。
宮部 いきなり難しいところに切り込まれましたね。
北方 それまではハードボイルド小説を書いていたわけです。ハードボイルド小説となると、例えば大沢在昌だっていい作品を書いてますよね。そうすると、いつか押しのけられるんじゃないかとか、あいつだったら無情に押しのけそうだとか、そういうことを考えちゃうわけ(笑)。あと、やっぱり物語にダイナミズムが出てこない。僕の小説は謎をどうにかするというものではないから、謎解きのアイデアが浮かんだからといって書けるものではないんです。
宮部 人間の心と行動を描かれますものね。
北方 だからね、どんどん縮小再生産になりかねないという恐怖感があった。それで、もうちょっと物語という形でダイナミックに展開できる場所はないかということを考えたら、歴史を舞台にするか、SFに題材をとるかの二つしかなかった。でも俺にはSFの頭がないんだわ。
宮部 そうなのかな(笑)。
北方 SFはね、書いてあることは理解できるんだけど、何でこうなるのかという以前に、こうなったという結果に心が動かない。
宮部 じゃ、SFものをお読みになっていても、あまりそのエモーションが…
北方 そう。だからSFはだめ。歴史小説は昔から読んでいたから体質にあっていると思った。
宮部 どんな作家がお好きだったんですか。
北方 古くは中里介山。
宮部 『大菩薩峠』ですね。
北方 あと白井喬二。これは『富士に立つ影』というのがあります。それから『丹下左膳』の林不忘。近くは吉川英治、柴田錬三郎、池波正太郎、山本周五郎なども読みました。
宮部 王道だわ!
北方 それともう一つ傾倒して読んだのが司馬遼太郎。司馬さんの本はすごくおもしろくて勉強になるんだけど、小説としてはちょっと不満に思っていた。何故かというと、作品の中に突然司馬さんが出てきて…
宮部 いろいろ解説してくださいますよね。
北方 そうなんだ。俺ね、知っていることを解説されたりすると、こういうのはいらないよ、と思ってしまう。
宮部 私みたいに知らない人間にはそれが面白いんですよ。知識が入ってきて、さらに先の物語が楽しめるみたいな。
北方 時代考証を作品の中に取り入れて、物語も一緒に進行させていくという方法については、司馬さんという大きな山があるわけです。だから、そういうつくりをするのではなく、歴史小説をそのまま読んでいって、読み終わったときに「ああ、こういう歴史だったのか」とわかるような書き方をしてみようと志を立てたわけです。
宮部 すごいですね。
北方 これは結構大変でした。柴田錬三郎さんは、芝公園の増上寺の大門前から深川まで駕籠に乗ったら、どういう景色が見えて駕籠賃はいくら、ということを全部知っていたそうなんです。知っているけれど一切書かなかった。そういう話を聞いて、知っていても書かないということもあり得るんだと学びました。普通は知らなくて書かないことの方が多いのにね。
宮部 書く必要がないから書かない、だけど知っている。そうなると構えにゆとりができますよね。人間の心を追っていくことに余裕が出てくるから、生き生きとした小説が書けるようになるんでしょうね。
北方 そうなんだと思う。それがかつて大衆小説がもっていた良さです。物語がどんどん、どんどん展開していく面白さです。もちろん、時代考証にも変なところはない。俺もたくさんの本を読んできて、そういうことは学んだと思う。
宮部 実際に自分が小説を書き始める前に、いろいろな本を読んでおくことがいかに栄養になるかということですね。
北方 そういうことです。
宮部 北方さんは、いざ、歴史小説をお書きになろうとしたときに、時代考証の勉強を一から始められたわけですけど、ゼロから一までがたまっていないと一からはスタートできないと思うんです。たくさんの本を読んできたことでその部分がたまっていたんでしょうね。
北方 そう思います。
宮部 『武王の門』を書かれた八九年から今までの十六年間で歴史小説は何冊ぐらいになりました?
北方 いやぁ、数えたことないなぁ。
宮部 大作が多いですものね。そうすると、歴史小説に傾けられてるエネルギーは大変なものではないかと…
北方 でも、ちゃんとハードボイルドも書いてますよ。
宮部 はい、もちろん。
北方 基本的に俺は書くことが好きなんだ。苦しいとか、枚数が多いとかいうのは、編集者をいじめるための口実だね(笑)。
宮部 でも、物理的、時間的にきついということはありませんか?
北方 それできついと言っても、編集者に「それなら結構です」と言われたら、「いやいや、そんな」ということになるのでしょうけど(笑)。だから、小説を書いていく上において書くことが好きだというのは、重要な要素だと思います。
宮部 おっしゃるとおりです。
北方 俺はいまだに書きたいものがたくさんあって、全部書くとなると百何十歳かまで生きなきゃいけないんだ。
宮部 うわぁ、うらやましい。
北方 その中から少しずつ選び取って書いていかなきゃいけないわけなんだけど、書けば本になるんだから、こんなに幸せなことはないよね。
 
■『孤宿の人』のリアリティ
 
北方 『孤宿の人』を書こうと思ったきっかけは何なの?
宮部 幕末の幕臣で妖怪≠ニ呼ばれた鳥居耀蔵にとても興味があったんです。ああいう幕府の偉い人が、讃岐という江戸から遠く離れた西国に流されて、明治になるまでずっとそこで暮らしていたわけでしょう。
北方 でも、ずっと意気軒昂だったみたいだね。
宮部 鳥居耀蔵に関する資料本を読みましたが、最初の頃は幽閉先のまわりにいた人間は、彼に近づくことなく静かに暮らしていたんです。でも、彼は医学、特にお灸や薬に詳しくて、だんだん医療相談みたいのを受けるようになっていったそうです。すごく悪いことをして流されてきた人だけれども、何年も流されている間に、その土地の人々に親しまれたり、尊敬されたりしたんだろうなと興味を覚え始めて、鳥居耀蔵のことを書いてみようと思ったんです。でも、最初に白状しましたように、私の力量や資質ではとうてい無理だということがわかって、それなら史実の一部を土台に、架空の物語を創ってみようかと。
北方 他の登場人物もいいよね。例えば「ほう」という少女の書き方なんかうまいと思った。
宮部 嬉しいなあ!
北方 一つだけ気になったんだけど、物語で描かれている時間が意外と短いよね。
宮部 そうなんです。梅雨の初めから夏の終わりまでですから、せいぜい三ヵ月。その三ヵ月を書くのに五年かかりました。
北方 普通に読者としては読めば、テンポよく読めると思います。
宮部 でも、上巻はちょっと読みにくくなかったですか。物語の舞台である丸海藩を全部自分で作り上げたので、町役所とか磯番などの説明が多くなってしまって。
北方 いや、そんな感じはしなかったな。俺は登場するそのひとつひとつが本当にあるもんだと思ってた。丸海藩の岡っ引きにあたる引手というのは珍しい言葉だとは思ったんだけど…。まんまとだまされたなぁ(笑)。
宮部 丸海藩はこの一作のためにつくったんですけど、これだけつくったんだから、同じ丸海藩を舞台に次は明るい話を書きましょうと、「歴史読本」の方とお話ししているところなんです。
北方 それは楽しみですね。話の中に貝で染色した糸で反物をつくる人たちがいるじゃない、あのへんに市井の人々物語がありそうな気がするな。
宮部 あの「紅貝染め」の部分は、山形の方でやってる染め物のことを頭に入れて書いたんですけど、花や木から染料をつくるんだと海がある藩らしくないから、貝を煮出して染めることにしようと考えました。つくっている時はすごく楽しかった。
北方 本当にやっているんじゃないんだ。
宮部 やっていません(笑)。
北方 そうなんだ。貝からどうやって色を出すんだろうと思ってさ、ずっと考えちゃった(笑)。
宮部 そういう意味では、ファンタジー小説の設定をつくるのと同じような感覚で書いていました。
北方 リアリティがすごくあるよね。
宮部 ありがとうございます。本が店頭に並ぶ日は怖くて本屋さんに近寄れませんでした。
北方 宮部みゆきにしてそうなの?
宮部 怖かったです。今回の作品は人がバタバタ死ぬでしょう。
北方 そんな印象はなかったな。それぞれにちゃんと描き切っている。
宮部 町役所の同心で渡部一馬という男が登場するんですけど、私は男心がわからないので、これもすごく難しかった。
北方 いや、よくできていたよ。彼の生き様を見て「おお、ちゃんと男心を書いているじゃないか」って思ったもの(笑)
宮部 宮部、感涙! 本当に難しい作品で、途中で三回ぐらい、連載をやめさせてくれって泣きついたんです、「私にはもう書けません」って。
北方 俺は意地悪に時間の計算をしちゃったけど(笑)、普通の読者はそんなことはしないから、一気に読んで感動するんじゃないかな。「ほう」という女の子の純粋さが心にしみるしね。
宮部 ハードボイルド作家としての北方さんもすごく好きだし尊敬していますけど、今の私の中では北方さんは歴史小説作家の大家なんです。そんな北方さんに、よくできていたと言っていただけるのは本当に嬉しいことです。苦労して書き上げた甲斐がありました。
 
北方謙三『絶海にあらず』上・下 中公文庫 宮部みゆき『孤宿の人』上・下 新人物ノベルス
 

(後編へ続きます)

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