産経新聞令和二年7月9日号「大沢流読むポイント」より

新聞から得る小説の「材料」

大沢流読むポイント
  • ■ 朝一番に新聞を読んで頭を活性化
  • ■ 参考になる記事は切り抜く
  • ■ ニュースと自分との関係を能動的に考える

新聞漬けの父

もともと父親が新聞記者でしたので、小さい頃からいつも新聞は自分の近くにありました。父は事件記者などを経て編集局長、専務まで務めた〝新聞漬け〟の人。私が子供の頃から、夜中に電話が鳴り、父が布団から起きて飛び出していく―という生活が当たり前でした。当時は社旗を立てた大きな車に乗って帰る父を見て、「かっこいいな」と思いましたね。

それと同時に、「新聞記者だけにはなりたくない」とも思っていました。私が3歳の頃、当時住んでいた名古屋の家の屋根が伊勢湾台風(昭和34年)で吹き飛んだのに、父が取材で家に帰ってこず、心細い思いをしましたので。(約40年前)父が亡くなったとき、当時の社長が「新聞社に入らないか」と声をかけてくれましたが、二足のわらじを履くのは難しいと思い、小説家の道を進みました。

今でも印象に残る新聞紙面は、中学生の頃の1面です。当時はベトナム戦争のさなかで、記事も多くが戦争関連。やはり意識しましたし、父親ともよく議論をしました。新聞が家にあるのは当たり前だと思っていたので、上京後に一人暮らしを始めてからも取っていました。隅々まで読んでいたかと問われたら、怪しいけれど。

個性はっきり

私にとって新聞は朝起きて顔を洗ってから読む「一日の始まり」です。頭を活性化させる作業として読んでいますし、それをしないで仕事にとりかかることはありません。紙面を読んでいて、小説の材料に使えると思った記事は切り抜いて取っておきます。その記事に書かれた事象の前には何が起きるのだろう…。そこにインスピレーションが湧きます。

新聞は産経など2紙を取っています。最近切り抜いた新聞記事は、覚醒剤関連や外国人犯罪などに関するもの。どこの島が中継地点になっているだとか、密輸などの現場ではどういう手法が使われたのかなど、小説の材料にできるのでは―と思いながら切り抜きました。

逆に、連載中の「熱風団地」もそうですが、小説の大枠、根幹の部分で記事を参考にすることはありません。やはり実在のものがあると使いづらいですし、引っ張られてしまいますから。ただし、文章を書くうえで事実関係が細かく、本物っぽい方が、全体の〝嘘〟をつくのが小説ですから。

産経は国際情勢に関する記事など他紙にはない情報もあり、興味深い新聞です。また、中国や北朝鮮などに対して厳しいスタンスを持って臨んでいます。記事のすべてが一方的に正しいとは思いませんが、そのスタンス自体は読んでいて嫌な気持ちになりませんし、ここまで個性がはっきりしている新聞はなかなかありませんので、面白いと思っています。

掘り下げた情報

新聞の良さは「自分で考える時間」を持てることです。テレビではニュース映像を見て「おおー」と驚いている間に次の話題になり、CMが入り…と流れが速い。刺激的ですが、内容は忘れてしまいます。ところが、読むことは能動的な行為です。活字を取り込むことで受けた印象は、新聞を読み終えても頭に残ります。記事は記者が(当事者や関係者に)取材し、何が起きたかを再構成した「掘り下げた情報」です。ニュースと自分との関係を能動的に考えるきっかけにもなります。

「熱風団地」では、主人公の佐抜克郎と(相棒の)ヒナはまだ「アジア団地」ですが、これから、さまざまな〝冒険〟をしていきます。私の世代にとって、新聞小説は花形の存在でしたし、今でも作家としてのひのき舞台というイメージが残っています。自分が取っている新聞を毎朝開いて、「そういえば俺の小説が載っていたんだ」と思い出すのは面白いものですよ。

連載されていた『熱風団地』はKADOKAWAより発売中

熱風団地

1,980円 KADOKAWA

“多国籍ニッポン”を生き抜く痛快バディ・ストーリー!

フリーの観光ガイド佐抜克郎は、外務省関係者から東南アジアの小国“ベサール”の王子を捜してほしいと依頼を受ける。軍事クーデターをきっかけに王族の一部が日本に逃れていたのだ。佐抜は“あがり症”だが、ベサール語という特技があった。相棒として紹介された元女子プロレスラーのヒナとともに、佐抜は王子の行方を求めて多国籍の外国人が暮らす「アジア団地」に足を踏み入れる。ベサールの民主化を警戒する外国勢力や日和見を決め込む外務省に翻弄されながらも、佐抜は大きな決断の舞台に近づいてゆく――。