作家生活30周年スペシャル対談 後編
 
大沢在昌×今野敏 作家生活30周年スペシャル対談 本とも(徳間書店)2009年4月号
 
■スピードとクオリティ
 
大沢 何より寂しいなと思うのは、今の若い人たちには、文壇的なものに対する憧れというのはもうないじゃない。流行作家としてカッコいいというイメージで見られたのは、おそらく北方謙三さんが最後かな。やっぱり葉巻をくわえて、クルーザーに乗ったり、オープンカーの隣に愛犬を乗せて走ったりという。ああカッコいい、あれが北方謙三だと。
 今はホームページとか、昔より読者には情報が発信できる状況でありながら、われわれが憧れの存在として今あるかというと、おそらくないだろう。「ああなりてぇ、だから俺も小説家になるんだ」という、そんな動機でも、俺、いいと思うのね。
 学生時代、純文学を志向している文学青年たちに「おまえは何で小説を書くんだ」と言われて、「俺は銀座で、ベンツに、軽井沢だ」って言ったら、「おまえみたいな下劣な、堕落した思想のやつに文学はできねぇ」って言われて、「俺は文学なんか志望してねぇよ」って言い返した覚えがあるんだけど、実際そういうイメージを作家に対して持ってた。銀座で飲んで、ベンツに乗って、軽井沢に別荘を持てるような、そういうのがいちばんカッコいいんだというふうに思っていたのね。
 今の若い人たちが、じゃ小説家という職業に、そういう思いを持っているかというと、おそらく持ってないだろう。それがやっぱり寂しいよね。
今野 何なんだろうね。でも作家にはなりたがるんだよね、みんな。
大沢 贅沢をしたいとか、女にもてたいとか、そういう思想がないんだよね。プロの小説家というのはバリバリ書いて、バリバリ稼いで、バリバリ金を使ってなんぼのもんじゃないのって、俺なんかやっぱり思うんだけど、若い子たちはあんまりそういうことを考えないで、わりに淡々と、学生みたいな暮らしをして、年に1冊、あるいは2年に1冊、細々と本を出して、それで食べていければ幸せですって。
 そういう作家人生を否定はしないけど、むしろそれはエンターテインメントの作家じゃなくて、純文学系の作家が考えることじゃないのかなって俺なんかは思うんだよね。洛陽の紙価を高めるというか、やっぱり何万という読者が新作を待ちわびて、出れば争って買って、で、やっぱりそれがおカネになって自分に戻ってきて、そのおカネでさらに自分が今までにしたことのない経験を積んで、書くものへつなげていくというのが、俺は小説家じゃないかなと思うんだよね。
今野 旅行もしてね、いいものを食って。
大沢 作家という職業はいろんなものを見たり、聞いたり、触れたりする機会が与えられるわけだから。でもそれは、売れて初めてそういう機会があるんで、無名の作家には、世の中なんてどこもドアを開いちゃくれないからね。まずやっぱり名前が世に出ること。名前が世に出るということは何かといったら、やっぱり作品が評価されることだよね。多くの人がその名前を覚えてくれれば、ドアは向こうから開いてくるし、そうなったときに、こういう経験をしてみませんかって言ってくれる人が必ずいて、あるときからもう、見ること聞くこと全部初めてづくめになったりするわけじゃない。すごく幸せだなと思ったね。もしかしたら小説家じゃなきゃ一生、絶対できなかったろうっていうことが、次から次へとできる。やっぱり小説家になってよかったと思ったし、またこういう経験をするためにも、頑張って仕事しなきゃいかんなとも思ったよね。
今野 だから、ただ単に小説を書くというだけではなく、たとえば自分の作品が映像化されたりすると、なんかワンステージ違うことが起こるんだよね。
 俺、カート・ヴォネガット・ジュニアの『猫のゆりかご』の中で好きな言葉があって。「作家たるもの、最高水準の作品を最高スピードで提供するのが務めだろう」という台詞。
大沢 まさにプロの作家らしい言葉だよね。
今野 しばらく座右の銘にしようと思ってたんだけど、途中から諦めた(笑)。
大沢 スピードとクオリティを両立させるというのは大変な作業。でも長いキャリアを持ってやってきた人じゃないと、そういう技術は身につかないよね。
今野 スピードとクオリティって、俺、両立する瞬間があると思ってる。
大沢 あると思う。
今野 小説って書かないとうまくならないんで。いっぱい書いてる人ってやっぱりうまくなるんだよね。
大沢 なる。間違いない。俺、生島さんに言われたのは、同人雑誌とかで何百枚、何千枚書いたって、作家っていうのはカネになる原稿を書かないとうまくならねぇんだよと。逆にいえば、こんな拙いものでカネをもらってしまったっていう後悔が、次の作品をよりよくする原動力にもなるんだということを言われたのが、すごく印象に残っている。あと、麻雀と一緒だと。自分が腐っているときでも、半荘に1回必ずいい配牌がくるときがある。そのとき逃さずあがればいいんだと。あがいてもダメだって言われたね。要は必ず風が吹くときがある。そのときにチャンスを逃すなと。もったいをつけるなということだったんだろうと思うんだよね。
今野 俺なんかいい例で、30年かかって風が吹いてきたんだからさ。
大沢 俺から見てると、『蓬莱』で一瞬風が吹いているのに何やってんだっていう苛立ちを持ったことはあった。
今野 でもあのときだって俺、次に『イコン』をちゃんと書いた。さぼってたわけではないんですよ。
大沢 お互いの30年のうち、俺のほうがたまたま少し早めに世の中に光があたったけど。
今野 かなり早かったけどな(笑)。
大沢 やっぱりすごく気になって、実際、いやなことを言ったこともあるし、ケツをひっぱたいたというか、ボヤボヤするなよという言い方をしたこともあるしね。作品の中身について突っ込んだ会話をした数少ない人だと思うんだ、今野敏という人は。
 
今野敏『イコン』
 
今野 日本推理作家協会賞を受賞したとき「大沢がいないと今の俺がないんです」っていう挨拶をしたんだけど。こっぱずかしいけど、実はホンネだったんだ、あれ。
大沢 あんまりそういうのは言われたくもないんだけどね。
今野 言われるほうもこっぱずかしいだろうけど。ただ、だれか支えてくれる奴がいないとダメだよね、作家って。
大沢 ライバルでもいいと思うんだよ。たとえば俺は北方謙三というのがやっぱり終生のライバルだと思っているんだよね。今は現代ハードボイルドはあまり書かなくなってしまったけど、彼が一躍寵児だったとき、俺はくすぶりまくってて、ハードボイルドを書いても書いてもいつも北方謙三の影っていう印象があった。だけど作家としての資質が違うことはわかっていて、もちろん北方謙三の小説がすごいというのはわかってたけど、でも同じ土俵でないところで俺は勝負できるはずだと思って、焦らず、腐らず書いてた。
 北方さんはそれに対して、俺がたとえば生意気なことを言って、ある部分、突っかかったりするわけだけど、ちゃんと受けてくれて。ライバルとして扱ってくれたのがすごくありがたかった。おまえなんかまだぜんぜん俺に比べればチンピラじゃねぇかよって、やろうと思えばできたと思うのよ。だけど彼はそういうことを一度として口にしなかったし、俺が頑張っているっていうのはもちろんわかってくれて。俺が今野さんに言ったように、グズグズするな、早くこっちへ来いっていう激励をしてくれたよね。俺にとって北方謙三が同時代にいたっていうのは、ものすごく大きな意味を持っていると思うね。
今野 たぶんそれと同じ意味合いだと思うんだよ。俺にとっての大沢さんは。同い年だけど。俺なんかは、じゃあそれを下の世代にやっているかっていうと、ちょっと反省する面があるね。
大沢 下とか上じゃなくて、そういうふうな突っ込んだ会話ができる相手がいるかということだよね。
今野  ああ、そうか。だれかを支えてるのかとか。
 
■焦りと悔しさ
 
編集部 デビューが一緒で、大沢さんのほうが先に注目されたとき、焦りってありましたか。
今野 焦るさ、悔しいし。
大沢 そんなのないわけねぇじゃん。北方謙三なんかさ、歳は上だけど、デビューは俺より2年あとなんだよ。一緒に飲んだりして仲がいいのに、パーティー会場へ行くと、北方謙三の前には名刺持って編集者が行列するわけだよ。俺のところにはだれも来ないわけ。顔知ってる編集者がいて、どうもとか言うと、そっけなく「ああどうも」とか言われて、もうあとは北方さん。目キラキラだし、早く名刺を渡したいですみたいな空気があってさ。ものすごいヒエラルキーだよ、それはね。
今野 パーティーでも感じるし、あと、理事会へ行っても感じるしね、売れないころって。それが辛いんだよ。
大沢 でも悔しかったら売れろっていう話だからさ。俺が気に食わないわけじゃないわけだよ。自分が頑張らなきゃしようがないねぇだろう。悔しくても自分が売れなきゃ何の答えもないわけで、そこですねたり、たとえば妬んだりしてもしようがないということだよね。
今野 だからパーティーに顔を出さなくなったり、理事辞めたりとかって、そういうのはよくない。売れりゃいいし。仕事を続けてさえいれば売れる。たとえ売れなくても、恥じることはないんだよね。
大沢 闘ってればいいんだよ。話したときに、「それはおまえ最初から勝てねぇに決まってるだろう、そういう闘い方じゃあよ」っていう、そういう言葉がどこか言外にこもってくるときあるのね。それがやっぱり作家同士の会話の中でいちばん怖い。売れてなかろうが、賞をもらってなかろうが、ちゃんと闘ってればべつにいいんだよ。だけど、どこかで投げて、楽な仕事を始めたり、カネだけの仕事を始めると、ああもうこいつは俺と闘ってはいないなと思うわけ。そういう人間はだんだん距離が遠くなっていってしまうなと。
 だから今野さんがノベルスを書きまくってたときに、俺がそれをすごく不安に感じて「そんな闘い方はありえねぇぜ。もっとちゃんと闘おうぜ」っていうことを言ったことはある。
今野 彼にそれを言われたことは大きくって、いつかは脱却しようという気持ち、そういうベクトルが生じたんだよね。だって食えてたからね、そっちに流されていってもおかしくなかった。
大沢 ある意味すごく生意気、傲慢なことじゃない。同じように作家としてプロとしてやっている人間に対して、おまえのその闘い方、違うぜなんていうことを偉そうに言う。じゃそういうおまえどうなんだ。あるいは、今はたまたまおまえはいいかもしれないけど、5年、10年たったらどうなっているかわかんねぇじゃないかよって言われたら、まさにそのとおり。だから言った以上は自分も当然、俺もやるし、おまえもやれよみたいなことしかないわけだよね。俺も頑張ってこれからも書くし、今ここで俺がたまたま一歩先に行ったからって、一生これが続くとは思っていない。逆にいえば一歩ずつずっと相手を離していくためには自分も行かなきゃしようがないわけで、自分が立ち止まってたらいつか追いつかれて追い越されちゃうわけで、そんな惨めな思いはしたくないし。
今野 だから作家というのは、相手を励ますということはそれは諸刃の剣で、刃を自分にも突きつけてるのよ。
大沢 偉そうなことを言って、俺はどうなるんだっていうのが常にはね返ってくるからね。だから冒険作家クラブって、そういうところが不思議な組織というか集団でさ。みんなそうなの、船戸与一にしても、志水のお父ちゃんにしても、もちろん北方謙三、逢坂剛、みんな仲がよくて、ポーンポーンとそれぞれみんなブレイクしていく中で……いちばん最初に北方謙三さんがブレイクして、そのあと志水さんとか、船戸のおっちゃんとかきて。どうだって言って、悔しかったらおまえもかかってこいやっていう、すごく男の子なんだよな、そこがな。畜生、売れやがってコノヤロー、賞とりやがってと思ってさ。俺だって負けねぇぞと思うのわかってんだよ、向こうは。だから、悔しかったらかかってこいよと。それは信じてくれてるっていうことなんだと思うのね。それで来なきゃあいつは終わりだと。だから、よくそういう会話はしたよ。あいつはギリギリだった。今回ブレイクしたけど、これギリギリだったな、これ遅れたらあいつヤバかったよねとか。
 で、今野はどうなんだっていう会話はよくした。それは謙ちゃんなんかともしてたし、「今野はどうなんだ」「頑張ってるみたいだけど」「いやあ、どうなんだろうね」と。そういうのも、いないところでもしてるわけだよ。「来ると思うけどな」とか言いながら。とはいっても、お互いが全作品読み合ってるわけじゃないからわかんないわけだよ。それはなんか、そのときの顔つきとか、そういうもので、あ、こいつ闘ってるなって思うわけ。闘ってないやつっていうのは、変な話だけど目がどんどん死んでくんだよ。名前は挙げないけど、すごく一時ワッとなった人がある瞬間に目が死んで、で、次に何書きだしたっていったら、だれかのパクリみたいなものを書きだして、すごくがっかりしたりとか、あの人が何であんなものを書くのと。それはもしかして、こういうのを書けば売れるとか、そういう低次元の発想でだれかの真似をしているんだとしたら、もう、たとえ売れたとしても、終わったなって思っちゃうわけ、われわれは。
編集部 今野さんは、そういうプレッシャーを感じていましたか。
今野 プレッシャーはもちろんあったんだけど、焦ってもしようがないし。あるときから腹くくったっていうのはあるね。
編集部 腹をくくったきっかけになったことってありますか。
今野 俺、『蓬莱』を出せたということが一つ大きくて、これを1冊出して評判がそこそこよかったんだから、次もいける、絶対いつかまた評価してもらえるものが書けるという自信がついた。さっきの眉村さんが書いてくれた話じゃないけれども、カネじゃなくて、もっと上へ行こうよという気持ちがあったんだよね。
大沢 それがなければ、いま今野敏はいないと俺は思う。
今野 そうですね。
 
■書き続けるということ
 
大沢 今野敏にしても大沢在昌にしても、作家の中では、今の日本の出版界では、かなり恵まれたポジションにあるとは思うけど。だけど5年後、10年後なんてまったく何の保証もないからね。一生安泰だなんて一度も思ったことないし。
今野 ないね。
大沢 いわゆる文壇的なヒエラルキーの最高点にいたって、じゃあ北方さんにしても、宮部さんにしても、10年、20年後、現役の作家として認知されているか、本が本屋で売られているかわからない。書き続けることでしかその保証は得られないし、カスみたいなものを書いてたら、どんどん追いやられていくだろうしね。因果な商売だよね。もっと楽にいけると思ってたよ、俺は。たぶん今野さんも、ここ数年の間に立て続けに文学賞とかをとって、かなり変わったんじゃないかな。とる前に思ってたほど楽じゃないって実感していると思うな。
今野 そう。仕事量、増えたんだもん。
大沢 増えるのはうれしい反面、ぜんぜん楽になってないよね。収入はもちろん増えているだろうけど。これがあと30年続くなんていう保証はどこにもないもんな。
今野 ないない。
大沢 むしろこれでまた落っこったりして、不安になることだって考えられるわけだよ。
今野 あり得るよね。だって、年取っていくと、どうしたって執筆量、減るわけじゃない。不安なはずなんだけど。不思議なもんで、俺、東芝EMIに入って辞めるときから、去年、文学賞をとるときまで、不安になったことってないんだね。まあいつかは売れるだろう(笑)みたいな。
大沢 でもそういうもんだよ。上ってるっていう意識を持っているときは不安がないんだよ。
編集部 売れてなくても?
大沢 うん。売れてないからこそ上れると思っているわけ。もちろん消えてしまうかもしれないっていう不安を感じることはあるけど、落ちることはないんだよ。だって自分の今いる場所は最低なんだから。ところが上り始めると落ちる不安が生まれるんだよ。だから今野さんは落ちる不安をこれから感じると思うんだ。
編集部 30年間の中で不安になったことはありましたか。
大沢 あったよ、もちろん。いちばん思ったのは、1989年に28冊目の作品になる『氷の森』をハードカバーで世に問うたとき。自分に書けるそのとき最良のものだという思いがあった。そのときの願いは、もらえなくていいから何かの文学賞の候補にならないかとか、あるいはアンケートなりコンテストで上位に入ることであったりとか、本が売れて重版することであったりとかあったんだけど。ことごとくその願いが外れたときに、俺が目指した最良のものというのは、この世の中には何の意味もないことなのかと。俺はそのとき33歳だったけど、残りの人生、まだそうとう長いわけだよね。50年近くあるとして、残り全部ずっと作家ではやっていけないかもしれないと思った。いちばん怖いのはそこだよね。
 売れてても売れてなくてもそれなりに注文があって、生涯作家としてやっていけるなら、まだそれは幸せだよ。だけど、注文がなくなった時点で自分がいくら作家でございと言ったところで、世の中から、おまえはもう引退したも同然だと言われたら、それはそれでおしまいになっちゃうわけだから。存在を無視されてしまうわけだから。そうなるんじゃないかという気持ちは持ったよな。
今野 俺は『蓬莱』よりも『ビート』だったんだよね。『ビート』はものすごい手応えがあったし、これ以上のものは書けないと思った。そうしたら、大沢さんが言ったみたいに、評価もあまりされなかったし、あまり売れもしなかった。
 でも大沢さんも『氷の森』を書いたから『新宿鮫』が書けたんだと思うんだよ。俺も『ビート』を書いたことによって、『隠蔽捜査』も書けた。ものすごく肩の力が抜けたんだよ。正直『隠蔽捜査』書いたときは、悪い言葉で言うと、やっつけ仕事だった、ほとんど。でもその前に『ビート』を書いてるから、やっつけ仕事でもクオリティが保証できたんだよね。
大沢 いい感じで力が抜けるっていうのかな。たとえば、今野さんはゴルフやらないけど、飛ばそうと思って力んでひっぱたいたからってボールが飛ぶわけじゃないと。なにげなく抜いたスイングでバーンと打ったらそれがすごく飛ぶっていうケースがあって、そういうことなんじゃないのかな。空手なんかでもあると思うんだよね。勝負したものがうまくいかなくて、ある意味すねて、腐って、でも食っていかなければいけないから次もしようがねぇ、やってやるかと思ってやったときに、いい感じで力が抜けた。
今野 そういうのあるかもしれない。
大沢 ただこれは自分で狙ってできることじゃないわけさ。
今野 ほんとにそうなのね。
大沢 演出なんかできないしな。
今野 これは怖いね。怖いというか困ったもんでさ。
    
大沢在昌『氷の森』 今野敏『ビート』
 
大沢 今野さんにしてもポッと出て売れたわけじゃないから。その間の長い積み重ねがある。俺は下積みが尊いと言いたいわけではないの。下積みなんてしないで済むならだれもすることはないよ。ただ、長い間そういう経験を積んだ人ってやっぱり強いよ。だから、ちょっとやそっとの波でも流されないし、ちょっとよくなってすぐ消えてしまうということもないし。腰が据わってるっていうのかな。長年売れないできたんだから、また一瞬、波がひいたからって、もうダメだ終わったということもあり得ない。俺もよく思うよ、売れなくなったって昔の売れなかったことに比べれば、ぜんぜん売れてんじゃねぇかよと。昔のことを考えれば怖かねぇやと思うことがあってね。
今野 やっぱり長年やってきたトレーニングなんだよ。最低限、アベレージの仕事はできるという自信があるんで、じゃそれよりもちょっと足してみようじゃないかとか、そういう工夫ができて……。俺たちって職人だからさ、ある意味で。そういう技術がなきゃダメなんだよね。それは、長年やってきたからその技術が培われてきてる。
大沢 技術は長年やることでしか身につかない。
今野 一生懸命書くこと。書き続けなければダメで、量はやっぱり質に転化するよ、絶対。
大沢 ある量は書かないと絶対ダメだろうな。だから量を書かないでうまくなろうとか、技術を身につけようというのは難しいと思う。
今野 ないと思う。あり得ない。
大沢 早い話が、締め切り来ちゃった、書くことは何にもない。でも何か書かないとまずいぜっていうときに、机の前でウンウン唸って、10時間たったらできてましたよ、っていうことっていくらでもあるんだ、プロの作家ってさ。この間もできたから今度もできるだろうっていうこともあるし(笑)。それの繰り返しだったりするんだよ。そうするとそれが自信になるわけさ、何とかなるぜと。若いうちは、どうしようどうしようということばっかり考えて、パニックっちゃうから書けなくもなるし、逆に言うと、このアイディアは今書いちゃダメだろうとか、もったいぶるというか温存したがる。そんなものどんどん使っちまえと。空っぽだ、スカだと思っても必ず探しゃあるからよっていうね。
今野 思いついたアイディアはどんどん使ったほうが、次も出てくるよね。
大沢 絶対使ったほうがいい。
今野 温存しているとそこで止まっちゃうんだよね。
大沢 これは勝負作のためにとっておこうなんて、そんなチャンスは二度とこないよと(笑)。つねに勝負作だと思うしかないのね。でもこれ書いちゃったら次が……って、そんなもの出てこなきゃ終わりだよって。出てくるんだよ。出てこなかったらどうするんですかって、それは消えるしかないだろう。だって今書かなくたってどのみちそれしかなかったら、消えるんだからっていう話だからさ。消えていく人間がこんなに多い世界ないんだから。だれも消えたいと思ってないよ。出てきたときはみんな意気揚々として、俺はもう世の中を引っ張っていくんだぐらいのつもりでいるわけじゃない。小説家の、そういうところがいちばん面白いかもね。だから毎日なんてのはすごくつまんない。机に向かってごそごそやっているだけの日常なんだけど、5年間とか10年間とか20年間、ましてやわれわれみたいに30年というスパンで見たときに、やってることは変わらないんだけど、気がつくと、登ったり下りたり、転げたりというのがその30年の中にあって、全部それが今の自分をつくっていることにつながっているっていうのはあるよね。
今野 噺家さんの話なんだけど、「あの噺家は変わらないね」「あの人の芸は変わらないね」って言われる人は伸びてる人なんだって。「あれはダメになったねっ」ていう人は、それは停滞している人なんだって。だから伸びてないと、俺たちは下手になったと言われるんだよ。
大沢 攻撃は最大の防御みたいなことだな。
今野 でも、毎日書いてれば絶対うまくなると思う。そういう蓄積がないと、結局、消えていくんだよ。
大沢 あの人は今、みたいになっちゃうからな。何十年かして、評論家がこの対談を見て、今野敏というのはあの今野敏だけど、対談相手の偉そうなことを言っている大沢在昌って、当時は売れたらしいけど、今は何も残ってないな、なんていう可能性だってあるんだからな(笑)。
今野 俺、昔よく抱いていたイメージがあって。焼鳥屋の隅っこで「俺昔さ、売れててさ」「いいから帰ってよ、おっさん」みたいなことを言われて、地面に倒れるんですよ。雨が降ってるの。そこをカッカッカッと歩いてくる奴がいて、ふっと見ると大沢なんだよ、それが(笑)。
 
■あっという間の30年
 
編集部 お二人にとって、30年は長かったですか、短かったですか。
大沢 あっという間だよ。
今野 俺もあっという間だな。
大沢 とくに変な話だけど、『新宿鮫』書いてからのほうが、もうキャリアの中で長くなったわけだよね。34歳で『新宿鮫』書いてもう19年になるわけだ。だけど、書いてからのほうが速いよ。あっという間だった。それはさっきも言ったように、未体験のこと、初めて開いたドアがいっぱいあったし、幸せだったから、あっという間に過ぎていったということもあるんだけど、『新宿鮫』を書いてからの19年間なんていうのは、ほんとに瞬足で過ぎてったような気がするね。あれから50冊近く書いてるけど、もうただひたすら格闘して、書いて書いて書いて、で、飲んで飲んで、遊んで、書く、飲む遊ぶ、書く飲む遊ぶ……まさに『かくカク遊ぶ、書く遊ぶ』(エッセイ集のタイトル)。
 
大沢在昌『かくカク遊ブ、書く遊ぶ』
 
今野 俺も同じ。ただ俺は、もう一つ空手という要素があるんで、これもけっこう忙しいんだ。空手をやって、小説書いて、飲んで、空手やって小説書いて……まったく同じ。こんな感じで大沢さんは19年間きてたんだろうと感じてる。
大沢 倒れるときは前のめりという世界だよな。
今野 倒れました、去年(笑)。
大沢 今野さんに言ったんだけど、ピークを50代で迎えちゃうのってどこかやっぱり……俺はまだ30代だったから、むちゃくちゃ大変だったけどまだ体力はあったんだよ。とくに今野さんは武道をやっているから体力には自信があったんだろうけど、仕事で疲れるっていうのは、肉体が単に疲れるのとは違う消耗があって、それが内臓とかにきちゃうんだよね。結果的には取り返しがつかないような病気にならずに済んだということは、いい教訓になったろうと思うんだ。
今野 だからペースがつかめるようになったね。ここまでいくともうダメなんだというのがわかったんで。
大沢 取り返しがつかないような病気にならずに教訓を得られたということは、彼にとってすごく大きな糧になったと思うんだよね。
今野 やっぱり作家って運というのが非常について回って、俺はそういうところの運がけっこう強いんだと思う。
 
大沢在昌『新宿鮫』 今野敏『隠蔽捜査』
 
大沢 (編集者に)もう十分語ってないか?
今野 これ以上、何が聞きたいんだ(笑)。
編集部 (あわてて)じゃあ50年目に向けての目標とか。あと20年。
今野 あと20年、同じでしょう。だって大沢さんがあっという間に過ぎたっていうんだから。
大沢 あっという間だよ。考えたら、生きてるかどうかだけだよ。それとも生き残ってるかということもあるだろうけど。
今野 その二つだね。人間として生きてるか、作家として生き残ってるか。
編集部 今まで作家を辞めたいと思ったことありますか。
今野 今まではないね、1回も。この先もたぶんないと思うけど。
大沢 辞めたいと思ったことはないけど、疲れるぜって思ったことはある。
今野 それはある。
大沢 辞めても何もできないからね。こんな潰しがきかない商売ないからさ。死ぬほどお金があったら辞めたいと思うかもしれない。でもあるかないかはともかく、俺は稼いだカネを片っ端から使う人生だからさ、辞められないよ。ものの見事に流し込んでるからね、いろんなもんにね。蓄財とかは興味ないしな。
今野 俺、道場付きの家を建てたいんですよ。これは今しかできないと。
大沢 それも金を使うということだからね、結局。道場付きの家を建てたって、そこは金生まないじゃん。使うばかりなんだから。
今野 だから稼ぐしかない。
大沢 貯金して、それでまあ、爪に火を点せば10年は何とか何もしなくて生きていけるだろうなんて思ったらダメだと思う。私は夜の街で、ゴルフ場に、別荘に、全部流してきました、それはもう(笑)。
今野 正しい生き方だけどね。だってみんなそうやってたんだもん、クルーザー買ったりしてさ。
大沢 それでだれからも文句言われなかったから、幸せな人生だと思うよ。
編集部 最後に、エールの交換をしていただければ。
今野 エールの交換というほどではなくて……これからもよろしくと。
大沢 お互い闘ってね、いきましょう。
今野 ものすごく密度の濃いお話をうかがうことができました。
大沢 30年も浮いたり沈んだりやってんだから、おいしい話はごろごろあるさ(笑)。
 
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